ネット対テレビ・ラジオ

フジテレビとライブドアの争いが連日報じられ,インターネットと放送との関係が話題になっている.将来テレビはインターネットに取って代わられるという予測や,それに反論する意見もよく耳にする.

だが,テレビはさておき,早急にネットと融合してもらいたいものがある.ラジオだ.

以前,「一極集中」という記事で,「線を通して流す情報を制作・編集する機能が首都の1ヶ所に集中している限り,首都の優位は何も変わらない.」と,マスコミの一極集中に不満を述べた.

だが,テレビに関しては,これはある程度しかたがないところがある.同じ記事で,地元のテレビに出演したことを書いたが,1分間ほどの私の出番のために,ほぼ半日かけて取材していた.これにさらに編集作業が加わるわけだから,映像制作というのは,とにかく手間がかかるようだ.

全国ネットで放送している大掛かりな番組では,もっと手間がかかっているだろうし,出演者を集めるのも大変だろう.このような番組制作機能を,全国のあちこちに配置するのは無理があり,首都で集中して番組を制作して1億人の国民を対象に全国ネット放送するのも,残念だがしかたないと思う.以前フィンランドにいたことがあるが,人口500万のこの国のテレビの内容は,報道番組以外はほとんどが外国映画などの輸入作品で,自前のバラエティ番組は非常に粗末なつくりだった.

だから,テレビをインターネットで放送しても,結局東京からの放送が流れるだけであり,双方向機能などの付加価値がつくだけで,現状とはさほどかわらないことになってしまう.

一方,ラジオ番組の制作はテレビほどの手間はかからないようで,全国の各ラジオ局では,自主制作番組が数多く放送されている.各地をドライブすると,車のラジオで地方色豊かな内容を聞くことができる.だが,局のエリア外でラジオ放送を聞くことは難しい.そこで,全国のラジオが全国どこでも(海外でも)聞ければ,いままで知らなかった地方の,東京のフィルタを通らない生のようすを知ることができる.

ネットでのラジオ放送は既に行われてはいるが,日本では出演者や音楽の権利の問題が難しいらしく,わずかなものにとどまっている.また,特定の番組を選んで30分〜1時間の音声ファイルを聞く方式のため,音声を流しっぱなしにすることができず,ラジオの最大の利点である「ながら」がしにくいという問題がある.

いまこそ,「IT企業」がこれらの問題を解決して,「全国どこのラジオでも,どこにいても,つねに生で聞けて当たり前」にならないものだろうか.各地方のことに,その土地の住民だけでなく,すべての国民が関心をもつことが,地方分権の第1歩だと思う.

(05. 4. 7)