私が運営しているサイトのひとつ「脱アルコール酒の楽しみ」について,時々出版・放送などのマスコミが接触してくることがある.取材をうけたこともあり,雑誌で紹介されたり,地元広島のテレビ番組に出たこともある.
だが一方で,「東京近郊ならば取材したいのですが」とか,「東京近郊の人を紹介してください」という依頼で,結局取材に至らなかったこともあった.
趣味のサイトのことだから別にいいのだが,本業の研究の話でこんな経験をしたら,今すぐ東京の大学の職を見つけようと画策することだろう.私の研究分野は理系で理論に近いほうだから,研究は世界共通のもので,世界的に見れば研究場所が東京でも広島でもあまり関係ない.だが,社会科学系の先生にとっては切実ではないだろうか.実際,勤め先の広島大学から東京の大学へ移った社会科学の先生で,離任挨拶で「やっぱり東京にいないとだめなんです」と言い残していった人がいたように記憶している.
東京一極集中の真の原因は,首都機能があることでも大企業の本社が集まっていることでもなく,マスコミの集中ではないだろうか.首都圏以外の地方のニュースはその地方でしか流れないのに,首都圏にあるマスコミが首都圏で取材したニュースは,あたかも日本全国の関心事であるかのように全国に流される.例えば,「タマちゃん」のニュースなど,当初は全国的に関心をひいたかもしれないが,後は首都圏ローカルで流しておけばいいはずだ.はっきりいって,広島にいる者にとってはタマちゃんなどどうでもよい.なのになぜいまだに全国ニュースで流されているのだろうか.
ある程度は情報発信機能のある大阪にいたときには気づかなかったが,広島にいると入ってくるニュースは首都圏の話題ばかりで,地元の情報よりも多いくらいだ.毎日毎日首都圏の話ばかり聞かされていて,しかも地方にいる自分のことはまったく取材も発信もしてもらえないのでは,活動場所を首都圏に移そうとするのも無理はないだろう.
首都圏とそれ以外の格差は,インフラやハコモノの格差以上に,ソフトウェア的な格差なのだ.インターネットの発達で,地方間の格差はなくなるといった人がいたが,まったくの大嘘だ.インターネットは情報の流れる線でしかない.線を通して流す情報を制作・編集する機能が首都の1ヶ所に集中している限り,首都の優位は何も変わらない.
日本国は,いつから「東京国」になってしまったのか.
(03. 5. 24)
[03. 6. 20追記] 「東海道新幹線に初の女性運転士」というニュースが今日あちこちの全国ニュースで流れているが,山陽新幹線には3年も前から女性の運転士がいる.そういうニュースは東京から大阪までの間だけでやってもらえないだろうか.