天気予報

子供の頃,「下駄を蹴り上げて,表が出たら晴れ,裏が出たら雨」という占いがあった.もちろんずっと昔からあったものだろうが,最近はあまり見聞きしなくなったように思う.もちろん,下駄を履く人が少なくなったのが大きな理由だろう.しかしそれと同時に,天気予報の技術の進歩により,天気が高い精度で予測できるようになったことも理由のひとつではないかと思う.

蹴り上げた下駄が落ちる向きは,予測のつかない「ランダム現象」である.かつては,明日の天気もある程度ランダム現象で,天気予報が外れることも時々あった.だから,下駄の天気占いもそれなりに現実感があった.だが,天気予報の精度が上がった結果,天気はランダム現象ではなくなってしまったのだ.

だが,よく考えてみると,天気にいろいろ変化があって,かつ高い精度で予報ができる,という地域は,地球上にそう多くないのではないだろうか.砂漠で雨が全く降らないとか,熱帯で毎日必ずスコールが降る,というところでは,わざわざ天気など予報しないだろう.逆に,ノルウェーの沿岸部のように,海岸に1000mの山が突き立っていてその海岸に暖流が流れてくるようなところでは,天気は頻繁に変わり1日の間に晴曇雨が繰り返すから,やはり天気予報など無意味である.

また,天気予報ができる地域でも,天気予報の地域区分の細かさは土地によって大きく異なる.日本国内でも,広い平野の関東地方では,天気予報は県単位だ.だが,山地と離島が多い九州では,NHKテレビのもっとも詳しい天気予報は与那国島から始まり,各県が4つ程度に分割されて予報されるので,大変時間がかかる.私は以前福岡県筑豊地方に住んでいたが,与那国島から順に読み上げられる予報が福岡県に達するのが待ちきれずよそ見をしていて,気づいたときには天気予報が終わっていた,ということが何度もあった.一方,ソ連時代のモスクワで見たテレビの天気予報は,まず「ロシア共和国中央部」の予報が出て,その後も「○○共和国」といった非常におおざっぱな天気予報だった.「ロシア共和国中央部」なんて,日本の何倍あるのだろうか?

ところで,日本では天気予報は「天気」の予報であり,テレビでは画面に晴雨の情報がまず現れる.しかし,ヨーロッパの天気予報では,まず現れるのは気温である.どちらが大事と思われているかがよくわかる.

(03. 5. 24)