博士

5月7日は「博士の日」だそうである.1888年のこの日,日本で初めて博士号が授与されたことにちなむそうだ.

昔は「末は博士か大臣か」といわれた博士号であるが,現在では,博士号とは学者の免許証のようなもので,若いうちに大学院の博士課程を修了して取得するものである.しかし,博士号を取るには,何本か論文を学術雑誌に投稿して,審査にパスして掲載された上で,それらをまとめた学位論文審査に合格しなければならない.大学院に通うだけで博士号がもらえるわけではないから,けっこう大変である.

ところが,われわれの業界では,「博士号は足の裏の飯粒」という言い方がある.「取らないと気になるが,取っても食えない」という意味である.そのくらい,博士号をとってもそれを生かして就職するのは難しい.大学などのアカデミックポストの数は限られている.また,メーカー等の企業が技術者として採用する工学系の大学院生は修士課程修了者が主なので,工学部の学生はかなりの割合が大学院に進学するが,さらに博士課程に進学する人は少ない.

最近,産学協同の問題で,日本の企業が日本の大学よりも欧米の大学と共同研究をよく行なっていることがよく問題視されている.しかし,これは大学の研究レベルの問題というよりも,「人手」の問題である.大学の研究室で,研究の最前線にいるのは博士課程の大学院生である.ヨーロッパの大学へ行くと,どこの研究室でもたくさんの博士課程の大学院生(Ph. D. candidate)がいる.彼らは大学や研究室の研究費から給料をもらっており,その研究費の一部は共同研究の相手からも出ている.一方,日本の場合は,彼らと同等の若い研究者は大学にはあまりおらず,修士課程を出て企業の社員となり,企業で給料をもらって研究しているというだけのことである.前にも書いたが,研究はお金だけではできず,人手が必要なのだ.

当然のことながら,営利企業は応用研究を主に行なうし,非営利機関である大学は基礎研究,つまり応用研究の種になるような研究を主に行なう.もしもわが国が,基礎研究を重視するという政策をとろうというのなら,若い人材を博士課程の大学院生として大学や公的研究機関などの非営利部門に多く配置し,博士号を取得してから企業に採用するような政策を行なえばよい.現状では,博士課程在学中には授業料を払わなくてはならず,しかも博士号を取得して企業に就職しても特別に待遇がよくなるわけでもないので,博士課程に進もうというモチベーションは低い.

また,このような科学技術や学術振興に関する政策を立案するには,官僚,とくに文部科学官僚は,研究活動を経験し,博士号を取得している人がなるべきではないだろうか.米国のフライシャー報道官に関するこの記事夕刊フジ)によると,「ワシントンは20人に1人が博士号持ちとされる高学歴社会」で「大卒の学士など高卒程度にしか認識されない」(記事中,「米国在住ジャーナリストの堀田佳男氏」の言)そうである.こういうところこそ見習えばよいと思う.

(03. 5. 24)

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