研究はお金だけでできるのか

大学用語に「科研費」というのがある.科研費とは,「科学研究費補助金」の略で,大学などの研究機関の研究者に対して国から出る研究費のことだ.科研費はただ大学に勤めていればもらえるというものではなく,研究計画を提案して予算を申請し,他の研究者との競争を勝ち抜いて研究費を獲得しなければならない.いわゆる「競争的資金」というやつである.ちょうど今が来年度の科研費の申請をする時期で,なんとかして研究費を獲得しようと,日本中の大学の先生が申請用書類(「調書」という)の作成に知恵を絞っている.

最近は,科学技術振興のために予算枠が増やされたため,科研費は以前に比べて当たりやすくなったといわれている.大学教員としては大変ありがたいことだが,では予算がつけば研究が進むのかというと,そういうものでもない.もちろん,大掛かりな実験が必要で,お金がなくては何もはじまらない研究分野はたくさんある.だが一方で,お金があまりかからない研究というのもある.文理にかかわらず理論系の研究は昔からそうだし,最近はコンピュータの値段が安くなったため,私のような情報系の研究にもお金がかからない研究が増えた.

しかし,お金がかかる研究でもかからない研究でも,どんな研究にも絶対に必要なものがある.それは「人」だ.実験系の研究で手を動かしてくれる人(たいていは学生)が必要なのは当然だが,「人」というのはそういう「人手」だけを言っているのではない.刺激を与えあう「研究仲間」のことだ.

研究は,ひとりで考えていてもなかなか進まない.私の経験でも,研究のアイデアはたいてい「黒板の前」で生まれている.つまり,黒板の前で仲間と議論している時に,考えがまとまっていってアイデアが出たり,また名案ができたと思っていたのが他の人に不備を指摘されたりする,ということだ.

学部生と大学院生の違いは,学部生は教員が一方的に指導する対象だが,大学院生は互いに刺激を与え合う「研究仲間」でもある,ということだ.だから,研究グループには,関連のあるテーマを独立して研究している大学院生がたくさんいるのが,一番理想的である.しかし,地方の大学の現実は,金がない以上に人がいない.優秀な学部生がいても,旧帝大が大学院の定員を大きく増やしたため,いわゆる「学歴ロンダリング」で有名大学の大学院へ行ってしまう.ある先生が「田舎で生き延びる方法」という記事を書いていらっしゃるが,その通り,刺激の少ない環境で新しい研究をし続けるのは,大変な努力が必要である.

大学院生のたくさんいる研究室にいた大学院時代,私は自分の研究テーマは自分ひとりでやっていて,誰にも手伝ってもらわなかったことを誇りに思っていたし,それを公言していた.だが,その時は,周りの先生方や大学院生たちからの刺激に空気のように無意識で,感謝していなかったことを,今は反省している.

(01. 10. 27)