前に「忠臣蔵」という記事を書いてから,もう3年になる.今年もまた,忠臣蔵の季節がやってきた.
前の記事にも書いたが,近頃の忠臣蔵作品では,「なぜ刃傷に至ったのか」をさまざまな仮説にもとづいて描写しているものが多い.それに加え,「吉良上野介は,本当は悪くないのではないか」という説もよく聞かれるようになった.上野介が地元・三河吉良では名君として伝えられているのは,最近ではよく知られていることであるが,それに加えて,刃傷から討ち入りに至る一連の経緯においても,上野介にさほど非はないのではないか,という説が出ている.
真相はいずれにせよわからないわけだし,推理としては面白い.だが,子供のころにいじめにあった経験のある私としては,「上野介は悪くない」というのは,担任の先生が「いじめだとは認識していなかった」と言い訳しているのと同じように聞こえて,感情的に受け入れられないものがある.
浅野内匠頭には,5万石を棒に振ってでも晴らしたいほどの「この間の遺恨」があったのだ.上野介からすれば「たいしたことではない,ヘンに気にするほうが悪い」のかもしれないが,内匠頭にとっては,不愉快な思いをさせられたあげく,「いじめられるのはお前にも原因がある」では,割に合わないことこのうえない.
東京・本所の,吉良邸のあった場所には,討ち入りの際に戦って亡くなった吉良家の武士の慰霊碑がある.「この間の遺恨」から発したこの事件で,最終的に一番かわいそうなのはこの人たちである.もしかすると先祖がかかわった事件かもしれないので,丁重にお参りしておいた.
(04. 12. 17)