水泳

アテネオリンピックが連日大きく報道されている.各種競技のなかで,私が好んで見るのが柔道と競泳だ.柔道はさておき,水泳は,私にとって各種スポーツの中で唯一,まあまあ人並みにできる競技だからである.

私は,小さいころから体育が苦手だった.水泳も同じことで,小学校2年生までは,顔を水につけるのが怖くてまったく泳げなかった.しかも,水泳の授業は何クラスか合同で行うのだが,担当の先生が理不尽な人で,顔もつけられない者までが一斉に飛び込みをやらされたりした.おかげで,水泳の授業のある日の朝は,不安と恐怖で吐くは下痢するはで大変であった.

だが,3年生になって,何かのきっかけで,息継ぎはできないものの少しだけ顔をつけて泳げるようになった.そうすると,水泳に少し興味が出てきて,夏休みの小学校のプール開放に1度も休まずに参加した.

すると,夏休み明けの始業式の日に,皆勤賞を表彰してもらえることになった.小さな賞状だったが,学校の朝礼で,朝礼台の前に呼ばれて表彰されたのは後にも先にもこれ1回だけだし,スポーツに関することで表彰されたのもこの時だけだ.

このとき以来,水泳は好きな種目となり,高校生のときにはバタフライもなんとかできるようになった.クラス対抗の水泳大会では,クラスに他にバタフライができる者がおらず,メドレーリレーのメンバーになって11クラスのうちの上位に残った.

今でも水泳にだけは苦手意識をもたず,自分からやるスポーツは水泳だけである.その原点は小学校3年生のときの賞状だ.今思えば,夏休みのプール皆勤を表彰することは別に恒例ではなかった.運動が苦手で昼休みのサッカーにもいれてもらえない私を励ますために,担任の先生がとりはからってくださったのだと思う.あのときの先生には本当に感謝している.

と,このような話を書いたが,実は表彰された小学校3年生のときは,結局最後まで息継ぎができず,25m泳ぐことはできなかった.25m泳げるようになったのは翌年平泳ぎを覚えてからである.それに,「水泳だけは人並みにできる」とはいっても,別に強化選手や水泳部員として活躍していたわけでもなく,高校時代の良い思い出も非常に低いレベルの話である.

つまり,あのときの先生は,結果ではなく努力を評価してくださったわけで,そのことが,30年後の今になっても私の人生に大きく影響しているのだ.今,大学教員をやっている私は「努力を評価するのは小学校まで.私の科目の成績は試験の結果だけで決める」と公言しているが,水泳のことを思い出すたびに,その信念がすこし揺らぐ.

(04. 8. 21)