努力を評価すべきか?

私は,大学で1年生に統計学を教えている.きのうが今年度後期の最終回の講義で,期末試験を行った.この講義では,この試験の成績だけで評価を行う.出席もとっていないし,演習問題は宿題として提示しているが,解答の提出は求めていないので,試験の成績以外に評価のしようがない.今年の前期までは演習問題の解答を提出させていたが,もともとその点数は,成績にはわずかしか反映させていなかった.

こういう方法をとっていると,学期末の「学生による授業評価」のアンケート(試験の前の週に,無記名で行う)に「毎回出席しているんだから評価してくれ」という要望がくる.また,1時限目の講義の時は,「朝早くから来てるんだから評価してくれ」と書いてあったりする.

学生のアンケートの回答には的確な指摘も多く,翌年の講義のために大いに利用している.しかし,上のような「出席を評価してくれ」という要望は聞かないことにしている.毎回出席しても試験の出来が悪いということは,毎回来ても何も聞いていなかったと言うことであろう.ましてや,1時限目の講義が朝早く(といっても9:00だが)始まるのは入学当初からわかっていたことであり,その時間に毎週来るのは当たり前で,何もほめられることではない.

私が,学期の最初の講義で必ず言うことがある.それは,「努力は評価しない.結果を評価する」ということだ.「よくがんばりました」が評価されるのは子供だけである.大学生はもはや「プロの学生」なのだ.プロというのは,結果だけを評価されるものである.

とはいうものの,どうも世間には「努力したんだから評価してやれよ」という風潮があるように思う.しかし,それは「努力したんだから失敗してもいいや」という,本番で力を出せないことへの言い訳に通じる.これから各分野のプロとして生きてゆく学生諸君には,そのような甘えを持ってほしくはない.

(01. 2. 6)

[04. 8. 21追記] 「水泳」(04. 8. 21)もごらんください.