能力不足を叱責すべきか?

よくテレビで,経営不振に陥っている飲食店の主人を,有名料理人が指導して再建させるという企画がある.そこでは,有名料理人が主人をボロクソにけなし,嫌味を言い,叱責する.「どうしてそんなことができないの」「やる気あるの」「もうやめたら」というたぐいである.どうも,この叱責のようすとそれに耐えて修業するようすが,この手の番組の見せ場のようである.

私は,この手の番組が嫌いである.「そんなこと」がなぜできないのかわからないから習っているのだし,やる気があるから修業しているのだし,やめたくないから番組の企画に応募しているのだ.それがわかっていて,責めるべきではない.

能力において優位にある者が,劣位にある者をその能力に関して責めているのだ.だから,優位にある者は,反撃される恐れは絶対にない.この構図は,すなわち「いじめ」である.ましてや,「いじめ」をテレビで見て喜んでいる人間は,現にいじめている人間よりもさらに卑しい.

では,何を責めるべきなのか.それは,「努力をしない」ことであろう.現時点で未熟ならば「できない」のはしかたがないが,努力は未熟でもできるからである.前項の「座観雑感」で「努力は評価しない.結果を評価する」と書いた.それに付け加えれば,私は「能力不足は叱責しない.努力不足を叱責する」という考えをもっている.

しかしながら,評価することに比べて叱責することは細心の注意が必要だし,エネルギーがいるし,自分の気分もよくないので,なかなか難しい.講義中の私語は容赦なく叱責するし,研究室のセミナーで学生が準備を怠っているときは厳しく叱るが,それ以外ではなかなか理想は実現できていない.

(01. 2. 6)

リンクしていただきました