社交

7月末から8月はじめにかけて,2つの学会に出席していた.学会というのは研究者が集まって研究発表をする会であることは,以前に書いたとおりである.

だが,学会には,自分の研究を発表したり,他人の研究発表を聞いて勉強することのほかに,他の研究者と交流する,下世話な言い方をすれば「コネをつける」という目的がある.研究発表の内容は論文を読めばわかることだから,わざわざ旅費を使って学会に出席しているのは,実際のところ後者の目的のほうが重要だからであろう.とくに国際学会は,海外の人と交流するチャンスであると同時に,日本人に対しても,国内ではなかなか話しかけられないような偉い先生と交流するチャンスである.大学教員は,研究に関しては自分で一切を取り仕切っている「自営業者」であり,営業や宣伝も自分でしなければならないのだ.

正直なところ,わたしはこの手の「社交」は苦手である.それは幼少時から変わっていない.幼稚園児のとき,砂場で遊ぶ時間に集団に入れず一人で遊んでいたら,先生が皆に「ひとりで遊んでいる子は悪い子ですよー」と言ってまわっていて,いたく傷ついたことがある.社交下手はよいことではないが,「悪い子」とはあんまりだろう.この年配の先生の甲高い声は,35年たった今でも耳に残っている.

学会に出席するようになってからも社交下手は相変わらずだったが,はじめは大学院生だったから指導教官にくっついていればよかった.指導教官はその学会では有名な人物だったので,いわば大会社の社員が会社の名前を使って営業できるようなもので,今思えばそれほどの苦労ではなかった.

だが,あるきっかけでその学会から離れ,自分ひとりで別の学会に出るようになると,まったくなすすべを失ってしまった.いくら研究発表をしても,それだけではその学会の「コミュニティ」に入っていくことはできず,いつも発表だけしてさびしく帰ることが続いていた.

そんな私を,最近は電子メールとウェブサイトが助けてくれている.学会で話をしたり,自分の発表に対して質問してくれた人と名刺を交換しても,それっきりで終わっては,その後に続く交流にはならない.そこで,学会の後で必ずメールを送り,自分の研究等について書いてあるウェブサイトを紹介するようにした.だが,ただ単に研究のことをサイトに書いておいても,そうは読んではもらえない.そこで,ウェブサイトではいろいろと話題を提供するようにし,さらに夏冬には挨拶状メールを送るようにした.

その効果があるのかどうかはわからないが,私にとって学会は,すこしずつではあるが,さびしいところではなくなってきた.思えばひとりで学会に行き始めたころ,「前の学会にくらべて,なんとさびしい学会だろう」と思っていたが,それは前の学会で,自分が有名教授の院生だということだけで特別な地位を享受していただけにすぎなかったのだ.だから今は,学会では院生を含めどんな人ともわけへだてなく交流しようとこころがけている.だが,相手も,とくに若い人の場合,誰と交流するかにはいろいろ考えがあるようで,「あなたなんかと知り合っても意味がない」という態度をとられることさえある.自分は偉くないんだからしかたないのだが,なかなか難しいものである.

(04. 8. 14)