「青色発光ダイオード訴訟」が話題になっている.しかし,マスコミ等で「中村修二氏が青色発光ダイオードを発明した」とよく言われているのは正確ではない.
裁判所ウェブサイトの裁判例集に,この裁判の判決文がある.これを読むとわかるように,裁判で認められたのは「中村氏が青色発光ダイオードを発明し,日亜化学に莫大な利益をもたらした」のではなく,「中村氏は,他社のものよりも性能の高い青色発光ダイオードを量産する方法を発明し,そのために日亜化学が莫大な利益を得た」ことだ1).
こう言うと,「厳密に正しいかどうかなんて,どうでもいいだろう.中村氏が青色発光ダイオードを発明した,のほうが,わかりやすいし話題性もあっていいじゃないか」と思う人も多いのではないだろうか.マスコミはどうもそう思っているようだし,それに中村氏にそういう報道を訂正する義務があるわけでもない.
われわれ学者にとっては,「正しい」ことは大変大きな価値をもつ.学術論文では,自分の論が正しいことを主張しなければ話にならない.上の例のように,最近は「正しい」ことよりも「わかりやすい」「おもしろい」ことのほうを重視する風潮が広がっているのは,正直なところ歯がゆい限りである.しかし,良いことかどうかは別にして,世の中では「正しい」ことが至上の価値とは思われていないことも多いということは,知っておく必要はある.
学者は講義もしなければならない.しかし,えてして学者の話は長いと言われる.正確に話をするためにどうしても説明が細かくなるからだが,うまい講義をするには,時には正確さを多少犠牲にして,わかりやすい説明をすることもする必要がある.受講者の専門知識の度合いによって,正確さと,わかりやすさや興味深さとのバランスをとらなければならない.この感覚を身に付けるには,学問の世界だけでなくいろいろな経験が必要で,精進が必要であることを最近感じる.
(04. 2. 4)
[05. 1. 13追記] 「特許1件2万円?」という記事を書きました.
[05. 1. 17追記] 1) 高裁での和解内容によれば,利益に対する氏の発明の貢献は,地裁判決のときよりもだいぶ低く見積もられたようだ.