今のようにネット掲示板が一般的になる以前,同じようなもので電子ニュースというものがあった.今でもあるにはあるが,このような電子コミュニケーションの主役はネット掲示板に移っている.
電子ニュースは,ネット掲示板とはかなり異なった仕組みではあるが,利用者にとっては同じような感じで,ある話題について他の人の発言を読むことができ,自分も発言することができる,というものである.大きく違うのは,当時はインターネットへ接続できるのは大学・企業などの組織にほぼ限られており,電子ニュースで発言するときには発言者の実名と所属組織を明かす必要があったことだ.
今,ネット掲示板で汚い言葉による罵りあいが起きることが時々話題になっている.しかし,電子ニュースでの罵りあいのひどさは,現在のネット掲示板の比ではなかった.発言者の実名と所属組織がわかっているために,発言者は互いに顔も見たことがないにもかかわらず「人格」がはっきりしているので,相手の人格を攻撃することになりがちだからだ.
それに加えて,「常連」や「古株」には必ず「取り巻き」ができていた.たまに「常連」の発言を攻撃する発言があると,頼みもしないのに「常連」を擁護する人がぞろぞろ出てくるのだ.見苦しい姿だと思ったが,実名と所属組織を明かして発言しているのだから,ネット外の現実世界での付き合いを考えて,「常連」に取り入っておこうと考える人もいるのかな,と思っていた.
ところが,不思議なことに,現在の匿名のネット掲示板でも,一般に多数の人に支持されている人物をやたらに擁護する発言が多く見られる.匿名で,どの発言とどの発言が同一人物かを知ることもできないのに,誰かに取り入っても現実世界で何の得もない.長いものには巻かれろ,という癖がついているのか,それとも多数派の側について「勝ち馬」に乗りたいのか.
ネット掲示板の世界は,現実社会よりも右翼的意見を支持する人が多いように感じる.「右翼と左翼」の定義のひとつとして,「右翼とは支配する側の論理,左翼は支配される側の論理」というものを聞いたことがある.この定義が妥当だとすれば,集団で議論すると勇ましい意見が通りやすいというグループ・ダイナミクスでよく知られた現象に加え,「支配する側に立って発言したい」という人が多いことが,その理由なのだろう.
現実社会では,自分の立場を守るために,自分の主義主張には合わなくても,あえて強い者の側につかなければならないこともある.国と国との関係はまさしくそうだ.せめてバーチャルなネットの世界だけでも,弱い者の側についたほうが面白いではないか,と私は考えてしまうのだが,単にひねくれ者なだけなのか?
(04. 2. 3)
[04. 5. 19追記] 雑誌「アエラ」04年5月24日号24ページの「Winnyの先の恐怖と自律」という記事に,「中心になるサーバのないP2P技術が掲示板に応用されると,管理人が書き込みを削除できない掲示板ができてしまう」という懸念が出ている.しかし,昔からあるネットニュースはある意味同じような仕組みで,どこかに中心となるサーバがあるわけではなく,各地に分散しているニュースサーバというコンピュータ同士がデータをやりとりしている.あるニュースサーバに接続しているパソコンからの書き込みは,接続されている他のニュースサーバへバケツリレー式に拡散していくようになっている.ただ,各ニュースサーバの管理人は,他のニュースサーバに向かって管理メッセージを送ることで,ある程度の制御が可能である.