つきあってみるといい人なのよ

「つきあってみるといい人なのよ」という表現がある.無愛想でとっつきは悪いが,つきあってみると実は親切だったり,味のある人物だったり,という肯定的評価をあらわすようだ.

しかし,「つきあってみるといい人なのよ」とわざわざ言うということは,「つきあってみない限り,いい人ではない」ことも認めているということであろう.

メーリングリスト等のネットコミュニティで暴言を吐いたりしている人について,「ネット上ではああだけど,オフ会で会ったら実はとてもいい人でした」という評価がされることがある.

しかし,そういう評価を聞くと「オフ会で実際に会った時にはおとなしくしているけれど,実はネット上で言っているようなことが本音なんだろうな」と私は思う.

ネット上ではネット上の人格がすべてであって,遠方でオフ会に行けない者にとっては「会ってみるといい人だった」といわれても考慮しようがない.そもそも,ネットコミュニティというものは,実際に会うことができない人間同士が交流するために作っているのではないのか.

(01. 1. 23)

[06. 1. 24追記] 「SNSと大学教員」という記事でも書きましたが,最近は,「ミクシィ」のような,現実世界の友人の紹介によって参加者を集めるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が流行っているようです.「ネット上ではネット上の人格がすべて」というのは,やはり受け入れられない,ということなのでしょうか.