四十而不惑

私は1964年12月21日生まれで,今日で40歳になった.

小学校5年のとき,担任の男の先生がちょうど40歳になり,「もう30台も終わりか...」としみじみ言っていたのをよく覚えている.また,大学のときにもやはりちょうど40歳になった先生がいて,何かの話で「人生は有限か」という話となったときに,「この年になると,人生が有限であることを実感する」と言っていた.

人は連続的に老いてゆくはずだから,きのうまでと何か特別に違ったことがあるはずはないのだが,40歳になると急に大きく年をとったように感じる.その差は,20台から30歳になったときよりも大きいようだ.それまでもずっと連続的に減ってきた「若さ」が,それでも30台のうちは「いくらか残っている」と言い訳していたのが,いよいよ40歳になると「どうがんばって言い訳しようが,どこにも見つかりません」と宣告されるような気がするのだろうか.

「人生は有限」といえば,1986年の春に「ハレー彗星」を見に行ったときのことを思い出す.現場で知り合った人の中に,天文に非常に詳しい女子中学生がいた.彼女は「ハレー彗星より周期の長い彗星は他にもたくさんあるのに,どうしてハレー彗星のときだけ,みな大騒ぎするのだろう」と言っていた.

ハレー彗星の周期は76年だ.つまり,普通に人生を生きれば,たいていの人が一生に1回だけ見ることができる.だからこそ,人はハレー彗星に人生を見,感慨を覚える.それがわからなかった彼女は,人生は無限だと思っていたのだ.そのとき私は,彼女との若さの差を強く感じた.

彼女も今は33歳になっているはずだが,どのくらい「人生は有限」だと感じているだろうか.私は,今日,いよいよ人生の後半になったと感じている.

(04. 12. 21)