地下鉄の火事

私は,以前地下鉄の火事−といっても煙が出た程度のことであるが−に遭遇したことがある.地下鉄の電車に乗った所,駅の間で電車が止まってしまった.ちょうど夏場で,当時の電車には冷房がなかったため窓があいていたところへ,車内にわずかに煙が入ってきた.車掌の「窓を閉めてください」というアナウンスが流れ,その後車掌が消火器を持って電車内を走ってきた.その後電車が動き出し,次の駅に着いたが,駅は真っ暗であった.「窓を開けてください」というアナウンスがあって,車内の煙を外へ出した.その後電車は普通に走っていって,無事目的の駅に行くことができたが,その電車を最後に運休となったと後で聞いた.

結局トンネル内の電気系統からすこし煙が出た,というだけのことで,たいした事故ではなかったが,それでも十分に怖い思いをした.先日の韓国の地下鉄火災でわかるように,「閉鎖されたところでの災害」は被害が何倍にもなるので恐ろしい.エレベータの中ではみなドアに向かって立っているのは,潜在的に「閉鎖された空間はいやだ,早く出たい」と思っているからに違いない.

ところで,物心つく直前に家のそばに地下鉄が開通したせいで,地下鉄は私にとってもっとも親近感のある乗り物である.幼稚園児のころに大阪万国博があったが,会場への交通機関は地下鉄で,家のそばの駅から地下鉄に乗って行った.「万博へは地下鉄で行くもの」だと思っていたので,外国人が万博にたくさん来ているのを見て,「地下鉄は外国まで通じているのか?」と不思議に思っていた.「外人さんは飛行機で来る」と大人に言われても,どうもよく理解できなかった.

今でも地下鉄は好きだ.福岡市に住んだときは,家賃が高いのを我慢してわざわざ地下鉄の駅のそばに住んだ.しかし,街の下にわざわざあんな大きな穴を開けて電車を通すわけで,考えてみれば不経済な話である.さらに火災等に対応する防災設備も特別なものが必要なため,地下鉄は客がすし詰めで乗っていないと採算が合わないらしい.1日に何回も乗ると結構運賃が高いのにもかかわらずである.地下鉄を必要とする街の構造自体が,「どこかで根本的に間違っている」ものである気がしてならない.

(03. 4. 16)