囲む会

「○○氏を囲む会」というのがよくある.あれを見ると,私は「○○氏を取り囲んで,吊るし上げたり袋叩きにする会?」と,いつもヘンな想像をして笑ってしまう.もちろんそんなわけはないのだが,そんなことを考えてしまうのは,「○○氏を囲む会」というのにイヤな下心を感じるからだ.

○○氏の意見や知識を聞きたいだけなら,「○○氏のお話を聞く会」でも,あるいは「○○氏講演会」でもよいのだ.それをわざわざ「囲む会」とよぶのは,つまり○○氏とお近づきになって,何か「いい目」にあいたい,ということなのではないのか.

もう少しまともな想像をするとして,「○○氏を囲む」という言葉から「○○氏の周囲を,○○氏の方に向かって車座になって人が取り囲んでいる」姿を思い浮かべると,○○氏から分け前やおこぼれをもらおうとしている図に見える.あるいは「○○氏の周囲を,外を向いた人が取り囲んでいる」姿を思い浮かべると,○○氏の威を借りて,あたりに横柄な態度をとっている図に見える.どっちにしても,○○氏に媚びる姿である.

人との交流による刺激は,ものの考え方を柔軟にし,発想を豊かにする.だが,「○○氏を囲む」姿は,○○氏のやりかたや思想に一方的に従い,思考停止しているように感じる.それは「交流」ではない.

(03. 2. 4)