評価としがらみ

今年のノーベル化学賞を,まったくノーマークだった田中耕一氏が受賞したことで,「研究の評価」の問題が言われている.つまり,「日本では研究が正当に評価されず,欧米で評価されてはじめて日本国内でも評価される」という問題である.一昨年にやはり化学賞を受賞した白川英樹氏の時も,白川氏が日本の学界ではあまり評価されておらず,ノーベル賞の受賞であわてて日本化学会が賞を贈ろうとしたことが報じられていた.

よく,「日本では」学閥やいろいろなしがらみがあって,研究それ自身の純粋な評価がされないと聞く.実際,白川氏が受賞したときも,勤め先の大学のある先生は「白川先生が東大卒だったらもっと早くから評価されていたでしょうね」と,当然のごとく言っていた.このような「正当に評価されない」問題は,よく「日本の問題」として取り上げられるが,どこの国でも多かれ少なかれあるものだと思う.このことで思い出すのが,一時は世界的人気のあったイギリスのロックバンド「クィーン」のことだ.

彼らがイギリスでデビューしたとき,イギリスの評論家たちは彼らを酷評し,ある評論家は「あんな奴らが売れたら,帽子だって何だって食ってみせる」と言ったらしい.そんな彼らが最初に人気が出たのは日本であった.人気が不動のものになって後,彼らへのインタビューで構成されたBBCのラジオ番組を聞いたことがあるが,話が日本のことになると「Yes, NIHON, NIHON!」と大変嬉しそうだった.彼らの歌には日本語のものもある.

つまり,「外国人のほうが,余計なしがらみや先入観がない,つまり人間にブランドがついていないから,純粋に成果を評価できる」というのは,別に日本人に限ったものではないということだと思う.

自分も,招待講演者を選ぶなど,少しずつ人を評価する立場に立ちつつある.しがらみにとらわれない外国人のような目で,正当な評価をこころがけたいものである.同時に,田中氏のノーベル賞のニュースを聞いて,自分も「評価してくれる人はどこかに必ずいる」と信じて,自分の信じる研究を続けようと,気持ちを新たにしている.

ただ,そのためには,論文はどんなものでも英語で書くほうがよさそうである.田中氏が先駆者だと認められたのは,小さなシンポジウムの英語の要旨集が証拠になったそうだから.

(02. 11. 1)