統計的思考

かつて,ソ連の独裁者スターリンは,「一人の死は悲劇だが,数百万の死は統計にすぎない」と言ったという.

先日のロシアでの劇場占拠事件では,「人質の1/7が亡くなった」と報じられている.これに対して,ロシア政府は「数百の人質を救出するという難業をなしとげた」と,ある程度の成功のように言っている.ロシア政府の立場からすれば,人質はひとつの集団で,「人質の1/7が亡くなった」ことは「人質の6/7が亡くなる」よりはマシだ,と言うことになる.

だが,「人質の1/7が亡くなった」とは,人質の各個人が「1/7ずつ死んだ」というわけではない.人質の各個人の立場でいえば,死んだ人にとっては自分は100%死亡であり,生きている人にとっては自分は100%生きている(後遺症は心配だが).

ロシア政府の立場は「統計的思考」である.「統計的思考」のもっとも身近なものは「平均寿命」であろう.平均寿命は,今0歳の人のこれからの人生の長さの平均を求めたものである.なんとなく,今0歳の人は皆これからそのくらい生きるだろう,と考え,よく「日本人は長生きになった」と言っているが,人生の長さは人それぞれである.

私は,大学で統計学を教えている.曖昧模糊とした集団全体をひとまとめにしてとらえ,有用な情報を取り出す「統計的思考」は重要である.だが,同時に一人一人のことを忘れない人間でありたいと思う.

いま私は,この文章を,大学時代の友人の葬儀の帰り道に飛行機の中で書いている.平均寿命は平均でしかなく,またどの一人の死も大変悲しい.

(02. 10. 30)