まもなく,広島の原爆の日がやってくる.私は広島で働いているので,原爆の話題はいやでも耳に入ってくる.
ところで,一般に「原爆投下」という表現がよくされている.この表現に,私は納得のいかないものを感じる.「投下」というと,何かを落としただけ,正当な行為,という感じがする.
実際に行なわれたのは,いうまでもなく「核攻撃」であり「住民の虐殺」である.それなのにそう言えないところに,広島の,そして日本の「堪え難きを堪え,忍び難きを忍び」という苦しみを感じる.
広島に,日米共同研究機関の「財団法人放射線影響研究所」というものがある.私はここで,アメリカ人の研究員も聴衆にいる中で,自分の研究について英語で講演したことがある.私が話した内容は原爆や放射線とは全く関係のない内容(統計学関係)であり,統計学が専門のアメリカ人研究員たちにも特別な感情はない.しかし,広島にそういう機関があって,英語で話さなければならないことには,すこしだけわだかまりがあったのは事実である.
まあ,「損して得取れ」という生き方,と考えることもできるが.
(01. 7. 26)