入試問題のミス

以前,ある大学の入試の国語の試験で,「『ケイタイ』を漢字で書け」という問題を出したのにもかかわらず,受験票の裏に「携帯電話は持ち込み禁止」と書いてあった,というミスがあった.大きくとりあげて報じていた新聞もあったので,ご存知の方も多いと思う.

確かに間抜けなミスで,大学教員としては気をつけなければならないことである.しかし,それは新聞で大々的に報じられるようなことであろうか?

この問題で影響を受けたのは,その大学を受験した人だけだ.世の中の大半の人には無関係なことである.各地の大学でミスが頻発して,「大学教員はたるんでいる」とかいう話なら世の中の関心をよぶだろうが,そういうことでもなくその大学だけの問題であるにかかわらず,どうしてニュースとしての価値があるのだろうか.

とかく,教育機関というのは批判されやすい.それは,国民に教育を一度も受けたことのない人はほとんどいないから,だれもが教育に関して「知っている」と思っているからだ.国民に教育に関心をもってもらうことはもちろん重要である.だが,入試問題のミスを大々的に報じても,教育に対する建設的な関心を喚起することはできないと思う.

(01. 2. 21)