水に流す

1997年,福岡にいたころ,「福島県の会津若松市長が,現職会津若松市長としてはじめて山口県の萩市を訪れ,萩市長と『歴史的会談』を行った」というニュースがあった.会津藩は,明治維新の際,長州藩をはじめとする官軍にひどいめにあっている.このため,このときの調査では,会津若松市民の3割が「いまでも山口県にこだわりがある」と答えたそうだ.しかも,会津若松市は萩市からの和解の申し出をこれまで2度断っている.

このときも,記者会見の席上で,会津若松市長は萩市長との握手を拒んだという.この件を,萩の人が批判しているのを見た.「官軍には薩摩も土佐もいたのに,なぜ長州だけが悪く言われるのか」「戊辰戦争より前,禁門の変で,長州は会津・薩摩連合軍にやられている」というわけだ.「戦争だから,どっちが悪いとかいうことも愚問だと思うし,それを未だに引きずるのもさらに愚かに見える」ともこの人は言っている.実際,山口の人が会津を意識することはほとんどないらしい.

しかし,それは最終的に勝ったほうだから言えることなのだ.その長州にしても,明治維新のときの長州藩の倒幕のエネルギーは,その260年前の恨みだったであろう.つまり,関が原の合戦で毛利輝元が西軍総大将だったために,徳川家康に毛利家の父祖の地・安芸を取り上げられて10ヵ国・120万石から周防・長門36万石に押し込められ,大変な苦難を味わったという件である.

私は大阪出身だが,大阪に「徳川家康をののしる会」というのがあるというのを,だいぶ以前ニュースで見たことがある.会員が集まって,ただ家康の悪口を言い合うだけの会だそうである.東京の人は大阪を意識することはあまりないだろうが,大阪の人は何かと東京を意識している.江戸時代,大阪が「天下の台所」だったころは,逆に江戸の人が上方を何かにつけ意識していたそうだ.

日本人は,「水に流す」と言う表現で過去のことをすぐ忘れてしまうというが,日本人もけっこうしつこいと思う.

(01. 2. 4)