今日は阪神淡路大震災の日である.
当時,私はフィンランドにいた.時差の関係で,向こうで地震のニュースを聞いたのは日本時間の昼過ぎで,大阪の実家に電話しても通じず,このときは家はなくなったものと覚悟した(電話はその後通じた).
その後,いろいろな人から電子メールで情報が入ってきた(WWWはまだあまり普及していなかった).幸い,直接の知人には死んだり大怪我をしたという人はいなかった.だが,ニュースに出てくる地名にはすべて実感があるため,ショックは大きく,1週間くらいは仕事が手につかなかった.
だが,当地の日本人でも関西に縁のない人には,文字通り「対岸の火事」で,被害に対する心無い軽口にかなり傷ついた.このときには,他人を慮ることの難しさを改めて感じた.
そういえば,フィンランドでは地震は全くなく,フィンランド人には「地面が揺れる」ということがどういうことか,まったく実感がわかない人も多いらしい.フィンランドの研究所の人にも「日本の建物にはすべてショック・アブソーバが入っているんじゃないのか?」といっている人がいた.
(02. 1. 17)