数学科のX君

大学生の時入っていた管弦楽のクラブの同級生に,理学部数学科の学生がいた.仮にX君としよう.

X君は,数学の実力は抜群で,講義の時には教授がX君に内容を確認しながら話を進めている,といううわさまであった.また,ピアノも大変上手だった.しかし,それ以外の面ではまったく変な男であった.とくに,相手の話をまともに聞かずに,自分の話を訥々と続けるくせがあった.

周りの人が「Xはちょっと変なヤツだから...」といって誰も文句を言わないのをいいことに,彼が好き勝手なことを言っているのが気に入らなくて,私はX君を嫌っていた.あるとき,X君が「世の中の大学の半分は数学科にすればいいんですよ.世の中のためだと思いますよ」などと言っているのを聞いて,工学部生だった私は「日本が工業力,技術力で欧米に勝てたのは,大学に工学部を作って工学を重視した結果ではないのか」と反論した.だがX君は「そういう思い上がったことを考えていると,今に痛い目にあいますよ」というばかりであった.

あれから十数年,思い上がっていた日本は,ひたすら痛い目にあい続けている.工業力や技術力は今も重要だが,それ以上に「知力」が重要な時代になった.こういう時代には,数学などの基礎学問の力がある人の方が,時代の変化に対応していけるだろう.

また,私自身の研究分野である画像工学・情報工学では,ヨーロッパの研究者には数学科出身者が多いのに対し,日本の研究者には工学部出身者が多い.応用技術は日本からたくさん発表されているが,影響力の大きい理論的枠組みはヨーロッパから出てくるもののほうが多いと感じる.

その後,私は大学の数学の教員となり,数学科出身の先生たちに囲まれて働いている.一方,X君の消息は彼が別の大学の大学院に進んだ後は知らなかったが,つい最近,彼の消息を知る機会があった.X君のことだからきっと数学者として活躍していると思っていたら,彼は霞ヶ関の官僚になっているそうだ.人生とは不思議なものだ.

(01. 3. 6)